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くくりわな

 投稿者:山城甚伍  投稿日:2014年10月21日(火)16時51分16秒
  山城の探索で、人が歩かないような獣道を歩いていると、目の高さの樹木に貼紙がありました。
有害獣駆除なんたらかんたらとあり、連絡先と氏名が書いてあった。
何じゃこりゃと歩みを進めると、足先が跳ね上がった。

靴にはワイヤーロープが締まり、立ち木の弾力で足先が宙に浮いている。
片足立ちで靴を脱ぎ、ワイヤーロープのしばりから脱出できた。
締め付けはえらいものです。
これが「くくり罠」なんだ。

ずいぶん前に、くくり罠にかかって宙吊りになった猪の子供を見たことがあるが、
自分がくくられるとは思ってもみなかった。


帰宅して、家内に顛末を話したら、「どこでのたれ死んでも知らんよ」とえらい剣幕で
怒られた。

そないに怒らんでもと思ったが、私は携帯電話を持っていないし、あっても、私が入る
ような山城は、どうせ圏外だと思う。
もちろん単独行だし、こりゃ笑い事じゃないなと思った。

虎バサミでなくて幸いでした。
もっとも、現在は、虎バサミは使用禁止らしいのだが、山の中では分かりません。
 
 

「大宝律令」は「大砲律令」の駄洒落だった

 投稿者:ねこ  投稿日:2013年 2月23日(土)07時36分57秒
  「大宝律令」は「大砲律令」の駄洒落だった

http://park.geocities.jp/j_con4/0204/p046.html#page301
http://book.geocities.jp/conspiracycalendar/02/Y02/jre024.html#0823

日本は、その歴史から、最初から、インチキ国家だった。
「絶対正義」が、裏で最悪の犯罪を行うという、想像を超えるトリックは、
人類全体を欺いてきた。
だが、よく考えると、古代の人間は、現代人よりも、はるかに頭がよかった。
人類は進化しているという学説は、ほとんどウソだろう。
ここ、数十年を見るだけで、日本人は確実に「退化」している。
要するに、「文化」は、人類の遺伝子を劣化させる。
だが、このような厳しい現実も、古代の支配者階級は熟知しており、
それなりの対策を講じてきた。それで、人類史は、ますます複雑なものになっている。
(仮説を含む)
( http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0102/p004.html )
 

虎次郎なんですか

 投稿者:天辻  投稿日:2012年 6月15日(金)07時44分34秒
  何度か高貴寺には行ってますが、このワンちゃんだと思いますが、近寄ってきました。虎次郎君なんですか。虎太郎なら天誅組ですね。高取城のことも勉強に成りました。  

高貴寺虎次郎

 投稿者:山城甚伍  投稿日:2010年 5月22日(土)20時43分16秒
  大阪府南河内郡河南町平石に高貴寺と云う古刹がある。

何でも、今から約千二百年前、役行者によって開かれ香花寺と呼ばれたそうだ。
後に、弘法大師空海が此の地で修業し、十一世紀から十二世紀には一大伽藍が建立され、堂塔大いに栄えたと云う。

南北朝の争乱時、在地武士の平岩氏が平石城に拠り、北朝足利軍と戦った折、兵火にかかり、堂宇はことごとく焼失したと云う。

また、磐船神社は、もとは高貴寺の鎮守だったが、明治の神仏分離により離れたと云う。

小雨の中、持尾城からの帰りに虎次郎を見たくて高貴寺に寄った。
虎次郎はブサカワ犬と聞く。

車を乗り入れると虎次郎が寄ってきた。
首輪があるので野良では無いようだ。
秋田犬かな。
老犬のようだ。

おにぎりを分け与えて食べたのだが、「虎次郎にエサをやらないで下さい」
と書かれた看板に後で気がついた。

すみませんでした。

虎次郎は高貴寺の飼い犬だったのだ。
「高貴寺虎次郎」

良い名だ。
 

TANDBERG社のスピーカー

 投稿者:山城甚伍  投稿日:2009年11月 8日(日)16時46分37秒
編集済
  数年前にハードオフで2100円で買ってきた。
これが、意外と音が良くて、今では一番良く聴くスピーカーになっている。

3センチのソフトドーム型ツィーターに10センチのコーンスコーカー。ゴム状エッジの30センチ弱のウーファーで構成されている。何の変哲もないスピーカーだ。
サランネットの色調や、ウォルナット調のキャビネットの仕上げ、裏板まで化粧板が貼られていて作りは良い。但し、スピーカーターミナルは貧弱だ。
裏側の銀色シールにTL5010と型式が記されていて、製造はノルウエィとある。

派手さはなく、やや大人しい音創りだが、オールジャンルに対応し、とても気に入っている。1973年の発売らしいから36年以上の時は経ている。

気分により、やはり30数年前のSONY S-G7(画像下)と切り替えて聴いている。
このSS-G7は、ソニーショップに勤めていた頃に、良く聴いていたので思い入れもあり、数年前に購入した。

当時、YAMAHAのNS-1000Mの人気が高かったように記憶しているが、中高音域が強く良い音とは思わなかった。

家ではNS-690を買って少しの間聴いていたが、優等生的でやや面白みの無い音だったので手放した。最近、もう一度NS-690を聴いて見たいなと思っている。

同じYAMAHAでも、NS-690とは音の傾向が異なると聞いていたNS-600(画像上)を入手した。
中高音域がはしゃぎすぎで三番目以下のスピーカーとなり、アンプにすら繋いでいない。
 

江戸時代末期の大砲

 投稿者:源友三郎右衛門  投稿日:2009年 7月24日(金)21時41分30秒
   先日の続きです。私は健康状態も思わしくなく、母も具合が悪いのでうかつに家も離れられる事も出来ずです。以前、山城さんが「佐賀藩のアームストロング砲以前に炸裂弾の使える大砲はあったのだろうか?。」との書き込みをYORI様の掲示板で拝見致しました。そこで軍事関係にも少々の知識がありましたので、本格的に調べはじめました。そこで大和高取植村家の「ホーイッスル砲(カノン砲)」へたどり着いたと言うわけです。

 平成10年頃、私の叔父が先祖調査を始めていまして、当家の事は解らずじまいでしたが、実際のご先祖が天誅組の事件の時の英雄であることを突き止めてきました。祖父はその家の三男として大阪にて生まれました。叔父が調べてくれた事(当時きっちりまとめる知識が叔父にはありませんでした。)と高取町史、及び城郭談話会編「大和高取城」をつきあわせた結果、先のお話のような推論が出来ました。

 小説「おお大砲」はかなりの脚色ですが、事実も当然あります。兜に砲弾(実際は百目玉(375g)の大きめの火縄銃)が命中し、頭痛がしたというのは半分は事実です。浪士の名は酒井伝次郎です。もし小説通りの権現砲でしたら、砲丸投げの砲丸みたいなものですから首の骨が折れてしまいますし、ホーイッスル砲だったら炸裂弾ですから、もっと悲惨な状態です。これは徹甲弾でも同じですね。ただ、山城さんも御存知の通り、明治の御維新の時代がすぐに始まりましたから、きっちりした記録もなくなり(ご先祖様が殿様から頂いた感状もその一つです。)今ではそのほとんどが伝説です。今は調べたくても古文書を捜すのも大変です。

 確かな事は以下の通りです。
(1)高取藩では11門の大砲を使用し、ホーイッスル砲を含む洋式砲であった。
(2)軍は一の組(前衛)と二の組(後衛)の二つに分けられていた。
(3)藩士の数が足りなかったので、農民を民兵として徴用した。
(4)藩士の大半が一の組(前衛)に配置されていた。
(5)戦場の実際の指揮は下級武士(2万5千石の植村家では充分に上士ですが)である。
(6)戦は一刻(2時間ほど)で決着がついた。
(7)戦闘開始から大半の時間は、ひたすら陣地からの砲撃と銃撃に終始した。
(8)追い打ちで多数を捕縛するも、深追いは禁じられていた。
(9)鳥ヶ峰正面に砲台を築き、銃隊、槍隊は側面に配置されていた。
(10)天誅組は大砲の発射音ではなく、着弾した炸裂弾に驚いて戦列がばらばらになった。
(11)戦列がばらばらになったのが、組織だった攻撃を不可能にした第一の原因である。

 このほかにも色々とありますが、詰まる所、お城へ行けないという不満のイライラと山城さんの書き込みに刺激された結果でもあります。これからもこの件については調査を続けていくつもりです。山ダニの猛攻?に負けないで、色々なお城のリポートを聴かせて下さい。再度の長文失礼致しました。
 

(無題)

 投稿者:山城甚伍  投稿日:2009年 7月24日(金)13時45分37秒
  源さん、お久しぶりです。
暑い日が続いていますが、体調は如何でしょうか。

高取藩士のご子孫でもある源さんのご意見はもっともです。
司馬遼太郎氏の「おお大砲」は娯楽小説で、私は、好奇心から権現砲を見たかっただけです。

そうですか、ホーイッスル榴弾砲と臼砲を装備していましたか。
高取城絵図を見ると、煙硝櫓や鉛櫓、火薬櫓、火薬小屋と名付けられた建物の存在を見ることができます。従って、相応の火力を持っていたものと察していました。

大政奉還に続くご維新で、天誅組が過大に評価されました。
時代の流れとは云え、譜代高取藩にとって、天誅組が城下に攻め寄せて来て、これを撃退したことは、あまり声高に言えない状況だったと推察します。

 戦いは相手のあることなので、その、どちらの側から見ることで、大きく変わることも事実です。天誅組紀行と題しているので、そこは、大目に見て下さい(笑)。

また、コメントを寄せて下さい。
ありがとうございました。
 

高取植村家の大砲

 投稿者:源友三郎右衛門  投稿日:2009年 7月23日(木)21時32分52秒
   ご無沙汰しております。天誅組の記事が載りだしましたので、しばらく拝見しておりました。それでは天誅組を迎え撃った子孫よりの反論です。まず今までの言い伝えである、「ブリキトース6門の使用」は誤りです。高取藩では毎年大砲の訓練を行うのが通例で、「権現様の大砲」など使えない事などは知っておりました。そこでオランダ渡りの「ホーイッスル砲」をはじめとする新式砲を購入しておりました。ホーイッスル砲(加農砲)はモルチール砲(臼砲)と同時に、かの高島秋帆が導入した西洋式の新式砲です。城郭談話会編の「大和高取城」にも論文が載っておりますが、少なくとも2門のホーイッスル砲、5門のダライバス砲を所有しており、ほかにも最新式のライフル砲を使用していたようです。鳥ヶ峰の戦場で使用された大砲は4門。後詰めの軍には2門の正式砲と5門の補助砲(これがダライバス砲です。)が城下町防衛の為に配備されておりました。従って鳥ヶ峰には少なくとも新式砲が2門はあったと言うことになります。後詰めの正式砲が旧型の「権現砲」だとすると、天誅組を迎え撃った大砲は全て新式砲という可能性もあります。大砲が新式である以上、小銃20丁も先込式の洋式銃であったと考えたほうが良いでしょう。ホーイッスル砲では徹甲弾のほか榴弾(炸裂弾)も使用可能です。天誅組は洋式砲など見たこともなく、生まれて初めて着弾して破裂する砲弾を経験したのですから、その驚きと狼狽は想像に余りあります。

 司馬遼太郎作の「おお大砲」はあくまで小説であります。洋式軍事教練も経験(回数は少なかったらしい)しており、剣術は植村家では伝統として稽古しておりましたから、少数とは言いながら、当時としては強力な軍隊です。加えて甲州流軍学者「福田耕平」が、家中の指導にあたっており、京都の情勢にも詳しく、臨機応変の対応をとれた模様です。小説では「感状を渡そうと思ったら、長い間に忘れ去られていた。」などとなっておりますが、小生のご先祖様はちゃんと殿様じきじきに感状を頂いております。また廃藩置県のあと在京の大参事として高取県の指揮にあたった村田丈四郎は大砲方組頭です。いい加減な対応であったとは思えません。

 当方の調べでは、天誅組が大砲の射程内に入るまで発砲は許されず、小銃隊も一斉射撃を基本とし、少なくとも1隊毎の射撃であったようです。また小銃隊も有効射程内に敵が近づくまで発砲は禁じられておりました。陣地から勝手に出ての「一人働き」も禁止されておりました。大砲の初弾は小説通りの「遠弾」でしたが、後方で突然爆発したので、天誅組はさぞ驚いた事でしょう。大砲は結果的にあまり役に立たなかったようで、陣地に接近してからの小銃の射撃が威力を発揮した模様です。また小銃隊の射撃をかいくぐって陣地のたどり着いても、槍隊と腕に覚えの「切り込み隊(剣術の免許皆伝者を中心に組織されたらしい)」が反撃するので、簡単に撃退出来たようです。

 明治になってから「天誅組」の方が有名になり、いい加減なホラ(高取城に攻めおりた)が言いふらされ、高取植村家でも反論しなかった為、小説のような事が一人歩きをはじめたと考えられます。長文失礼致しました。
 

三宅播州さま

 投稿者:山城甚伍  投稿日:2009年 6月29日(月)12時08分18秒
  鶴首城の素敵な画像をありがとうございました。
岡山県の山城は2000年に遠征をしましたが、鶴首城は未訪でした。

総社市の古代山城・鬼ノ城に登る途中に寄った経山城の画像を貼ります。
フィルム写真を、スキャナーで取り込んだので、もうひとつです。

経山城だけ見ると良い城だったのですが、鬼ノ城の圧倒的なスケールを
見た目には、経山城が何と小さく見えたことか!。
国家プロジェクト対市町村レベルの造作と云う感がしました。

岡山県の山城で再訪したいのは、吉井川を見下ろす天神山城です。
デジカメと縄張図を持って踏査したいと思うのですが、以前のような馬
力がありません(笑)。
 

備中 鶴首城

 投稿者:管理人 三宅播州  投稿日:2009年 6月27日(土)13時01分15秒
編集済
  山城様 こんにちは
三宅播州です
画像掲示板をリンクされたという事で時々訪れさせていただきたいと思います。
画像は三村氏の城で私が個人的に好きな城であり
幾度か訪れております鶴首城の一ノ檀の石垣跡です。

http://www.fumikomasaru853.com/

 

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