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広告について

 投稿者:発見者  投稿日:2007年12月15日(土)08時42分50秒
返信・引用
  当bbs内における広告は、レンタルサーバー・ティーカップによるものであり、
当方とは一切関係ございません。
動物関係のサプリメント等の広告に関しては、飼い主様のご判断にて
ご利用ください。
当方は、広告に関して、一切の責任を追うものではございません。
 
 

移動いたしました

 投稿者:発見者  投稿日:2005年11月 9日(水)14時13分41秒
返信・引用 編集済
  トップページ下記に移動いたしました。

ADPA (A-one dog pursuers association)
                  &
素敵な仲間 オーストラリアン・シェパード

http://www.dog-dog-nagai.com/index[1].html

 

ゴール、そしてスタート

 投稿者:発見者メール  投稿日:2005年10月 7日(金)13時44分58秒
返信・引用 編集済
  これまでどうしても解らずに居たゴールが見え、
この数年間、ずっと捜し求めていた答えをやっと見つけることができました。
とてもすっきりした気分です。

と、同時に、これから新たに別のことを始めようと、
すでに動き始めたことがございます。

これまでにはいろんなことがあり、多くの方々と知合うことが出来ました。
それぞれに言い尽くせない感謝があり、沢山心に残る経験がありました。

しかし、此処からは、また、新たな出発とすることにして、
本日をもって、このページを終了とさせていただこうと思います。

皆様、これまで長い間、殆ど個人の日記と化し、
拙い文章で綴られたこのページをお読みくださり、ありがとうございました。

今後は、現在リニューアル中のHPが出来上がりましたときに
また、おいでいただけるようお待ちしています。
 

犬との関り

 投稿者:発見者  投稿日:2005年10月 7日(金)09時23分52秒
返信・引用 編集済
  犬とのかかわりをもっと良いものにしようと思ったら、
訓練本を読んだり、躾教室に通ったりと言うことでは無いように思う。

自分の犬は自分を反映しているだけなのだから、
スワレや待てなどの小手先の業を教えられたからと言って
犬が良くなるわけではなく、
そういうことを行ったとしても
単に曲芸ができるようになるだけだろうと思う。

飼い主はもっと自分を磨き、自己を確立していくこと、
自分という人間を知っていくことが大切で、
自分が向上すれば、自分を反映している犬は、
自動的に、そのレベルが引きあがってくるように感じる。

簡単な例を考えてみれば
他人に迷惑をかけている犬を連れていても、何も感じなかった人が、
身体に障害のある方などの介助ボランティアなどをやったとしよう。
体に力が入れられないような老人や幼い子供さんなどに触れる機会を設けたら
きっと、力やスピードのある犬がバタバタしていることは
犬が嬉しそうだからと言って許されることではなく
他人に対して脅威を与えたり、下手をすれば怪我を負わせてしまうことになるのではないか
と言う、極めて現実に即した考え方に変わっていくことだろう。

そうしたときには、「躾をすることは可哀想だから」とか
「しつけは難しくて、自分はプロではないから」などと言う理由が
社会に通用しないことの認識を強め
真剣みが増したかかわり方と変わることで
犬も自分が勝手をして良いわけではないことをわきまえやすくなるのではないかと思う。

犬を良くするためには
人間に真剣みがあるということがとても重要なことであり
犬をやたら「トレーニング」と称して弄繰り回したところで、
自分に真剣みが欠けていた場合には
犬にはそこが見えるので
犬をいじくっただけで、きちんと結果を出せることにはならずに終わり
かえってだらしの無いいい加減な飼い主像を犬に刷り込んでしまうことにもなりかねない。

犬のことだからと言って、犬の躾本にかじりついてばかりいたのでは
決して犬はよくならない。
犬を素敵な犬に育てていくのは
飼い主の

「物事を冷静に見つめて観察する目と、思慮深い穏かな心、確たる自信」

であるということを
もっと知るべきではないだろうか。
 

オビが最高

 投稿者:発見者  投稿日:2005年10月 7日(金)05時45分11秒
返信・引用 編集済
  この頃私はオビディエンスが面白くてたまらない。

犬との関係を知る上でも、関係を強化する上でも
服従訓練というものはなかなか良くできていると感心することが多い。

昔、馬鹿飼い主だったころは、犬が非常に我侭だったから
服従訓練を行うときには犬が嫌々シブシブと動いていたりしたもので、
愛犬のそういう姿を見ることは、親馬鹿飼い主にとっては避けたいことの一つであり
世間を連れ歩く動物である以上は、基本的な服従訓練程度はやっておかなくてはなぁという
義務感で行っていただけだった。

それよりも犬が楽しそうな様子を見せてくれる
ディスクなどの方が、飼い主としては楽で楽しかった。

しかしいつでも頭の中には、オビを生き生きとこなしてくれる犬に憧れがあり
あのつまらない競技が楽しくてしょうがないと言う犬に成れば
他のどの遊びもがそれ以上に楽しいわけだから
犬はもっと幸せを強く感じられるのだろうし、
あの面白くもおかしくも無いような内容を
「飼い主とのかかわり」として楽しく感じてくれるような犬になってくれるのであれば
それは飼い主冥利に尽きるような気がして
オビを生き生きとこなす犬を連れている飼い主を見ると
羨ましいとさえ思っていた。

しかし、犬が良い犬に成ってくると、たかが基本の服従訓練であっても
犬にとっては飼い主が自分と密に関ってくれる「楽しい遊び」であり
上手くできなかったときには、
こうするんだよ、やってごらんと示してくれる指導力を飼い主の中に見出し、
さらに飼い主のことが好きになる。

悪い部分が正しくできるようになるまで何度同じ事を繰り返したりしても
悪い部分が正しくなったときには最上の喜びを自分に示してくれるという
言ってみれば、この時間だけは飼い主が自分だけを見つめてくれている
「最上の時間」であると言う風に犬が受け止めているのが
その様子から見て取れるのだ。

昔はオビを見誤っていたのだとこの頃よく感じる。

アレがつまらない内容だと思っていた自分は
犬とのコンタクトが上手く取れていなかったからであり
それがクリアできると、あんなつまらなそうな内容であっても
犬にとっては他のもの以上に楽しいものであったのだ。

かえって激しく体を動かすわけではないので、
体を解放している時間ばかりのディスクよりも
飼い主とのコンタクトに、その時間の大半を費やすオビの方が
もしかしたら犬は嬉しいのかもしれないとさえ感じられる。

オビが生き生きとこなせる飼い主と犬のペアとは
飼い主とのかかわりを強く欲している犬の上に成り立つ。
そういうことだったのだ。

そうとは解らずに居たころは、
飼い主が犬に「やらせている」ものと思っていた。

しかし、そういうことではなくて
やりたくて仕方が無い犬、やってもらいたくている犬に
「やらせてあげている」「やってあげている」と言うことだったのだと
今は解る。

かえってディスクには燃えるのに、オビではつまらなそうにする犬は、
野生の本能に支配されていて、
飼い主とのかかわりを欲していない犬なのであり
ディスクのときに見せる楽しそうな風体は
体を使って、
普段くだらなくてつまらない飼い主に辟易している憂さを晴らすチャンスが到来したことに
生き生きとしている姿なのだとわかった。

そういう犬の感じ方を知ってしまったら
オビでシブシブ動いている程度にしか、飼い主である自分を評価していないというのに
なんでディスクなんぞやってあげる必要があるのかと解らなかった自分が、
ああ、恥ずかしい・・・
犬に好かれたがりをやっていた飼い主だったのだわと解る。
 

これって

 投稿者:発見者  投稿日:2005年10月 6日(木)19時52分10秒
返信・引用 編集済
  これってこういうことか?と突然感じることがある。


閃くというのは、自分の中から湧き出ることだろうと思うので
どちらかと言うと、外から考え方が入ってくるという表現の方が
適切っぽい感じがあるので
閃くというよりは「降りてくる」と言う感じ。
それは早寝をした翌日などにやってくる。アルファ波出まくり?

今日、リズを排泄させていたときに
珍しくボ~ッとしてしまった。
すると、排泄が終ったリズが私の前を通過して勝手に一人で帰ろうとした。

なんだこいつ、私の存在をまるで意識していなくて、勝手に帰るってか?と思いつつ
だるさもあって、わざわざ声をかけるとか、リードを引き寄せるなどの
積極的なアクションを起こすのもかったるい感じがして
こちらが何もせずにいたら、
リズがそれからどういう行動に出るのかを観察することに決めた。

普段リズがそういったことをすることは、ここ数年無かったので
此方がボ~ッとしていたことで、私の「気」が感じられなかった事によるのかなぁとも思った。

リズは私の前をトットットッと何事も無いかのように通り過ぎ
リードがいっぱいの長さになる前に
私が動いてないことに自分で気づき、
あ、違っちゃった!という感じに戻ってきて
自分から脚側の位置に綺麗に入ってきた。

ふ~ん、すごいよなぁ。
あれほどグレて手こずっていたリズなのに、
よくここまで冷静でわきまえた犬になってくれたものだなぁと
感心するとともに
お互いの関係が、なんでこう成ったのだろうと、ふと、疑問に感じた。

冷静で坦々とした穏かで静かな関係。

よくここまでこいつがあきらめたものだよなぁ。
それだけ今の自分が、リズに放っていた邪気を抑えられるようになったということか?
と、ちょっと自惚れてみる。

私は今でもリズと言う犬が大切で仕方が無い。
しかし、自分がリズに入れ込むと
こいつは負担を感じて離れていこうとするから
入れ込まないようにと随分自分を律して今がある。

とても穏かで優しい関係が出来上がった気がするのだが、
何故それが七つの子達との間には成り立たないのだろうと思ったが、
それは自分が彼等に入れ込んでいることによるものだとばかり思っていた。
しかし、今朝の冷静なリズとの関係を考えると
どうもそれは7つの子達が、私を刺激している部分もあるように感じた。

今のリズからは、こちらがウハウハしたくなるようなものが感じられないのだ。
完全に諦めが入っているというのか「我」を発していないというのか、
彼女の体からこちらを刺激するようなオーラが感じられないので
此方も冷静で居られる感じがするのだ。

そう考えると、七つの子達からは自分に向けて何か刺激するようなものが感じられる気がした。
きっとそれが「我」なのではないだろうか。

今の自分は今年7月にグリペンがやってきたときほどには親馬鹿ではない。
しかし、それでもまだ完全にそれを卒業できたわけではなく、
まだまだ気づかぬところで馬鹿をやっていて
それで七つの子達が自分の望む状態に成らないのだと思っていた。

親馬鹿ちゃんりんが、彼等を刺激していることは疑う余地も無いのだが、
その親馬鹿ちゃんりんも、自分が自ら生み出している部分と
それによって刺激を受けている彼らが
私に対して「我」を発していることによって
それの影響を受けて、さらに親馬鹿を脱しにくくしている部分もあることに気づいた。

そうか!そうだったのか!相互作用だったのだ・・・と今更ながら気づいた。

ちょっと前までのリズはまだまだ我があって
彼女を排泄に連れ出すと
他の犬達がざわざわとしたものだった。

このところそれが無い。

ああ、こいつは随分良くなっているのだなぁと感じてはいたが、
きっと今の自分は、
ちょっと前の我を発していたリズに刺激されて
ざわついていた周りの犬と同じ状態にあるのだとわかった。

今、7つの子の1頭を排泄に連れ出すと、
その子がウキウキしているのが解るくらいに
他の子達がざわざわする。
あんまり周りを刺激するなよと連れている子に対して日々思いつつ暮らしていたが、
それは周りの子達を刺激していただけでなく
私自身も知らずと影響を受けていたのではないだろうか。
考えてみれば、
一旦、連れ出す子の精神状態をちゃんと整えて、興奮を鎮めるような時間を持たずに
いい加減な状態で、待っている子達が可哀想だという思いも手伝って
次々に排泄に連れ出すと言ったルーチンワークに近い状態があったように思う。
そういうことだったかと解った。

そうか、今の七つの子の状態と言うのは
ちょっと前のリズと同じ状態にあるということか。

あの可愛くて仕方がないという感情は、
彼らが放っていた「我」に、ある意味操られていたということでもあったと言える。

しかし、彼らには何故諦めができないかといえば
その原因は此方にあるわけで・・・

そこをしっかりできれば
七つの子達ともリズとの関係のように成れるということだ。

よしっ、道が開けた感じがする。頑張ろう!!!
 

(無題)

 投稿者:発見者  投稿日:2005年10月 6日(木)19時15分52秒
返信・引用
  今、グリペンのブリーダーさんのところには
あんまり仔犬が居ないのね。

HPを見始めたとき以来次から次へとダダッと生まれていたので
ワ~ッ、大変だろうなぁって思いながら見ていたけれど、
出産ラッシュ(と言うのだろうか?)が終って、ホッとなさっていらっしゃるのだろうか・・・
 

最近思うこと

 投稿者:発見者  投稿日:2005年10月 6日(木)14時48分58秒
返信・引用 編集済
  犬の本当の幸せを考える人は
きっと「犬と楽しく暮らせる」という言葉によって表現される暮らしよりも
「犬が穏かな心で過ごせる暮らし」という表現に代表されるような暮らしを望むのではないだろうか。

「犬と楽しく暮らせる」と言う表現をする方たちは
犬が楽しく感じることよりも
自分が楽しくなりたいことを優先している自分に気づいていないというか、
犬に負担をかけていることさえ、犬を楽しませていると勘違いした上に
自分だけが楽しくなっている人・・・そういう人たちが
「犬と楽しく暮らせる」と言う表現をする様に思う。
 

最近思うこと

 投稿者:発見者  投稿日:2005年10月 6日(木)14時40分53秒
返信・引用 編集済
  犬に躾を施して飼おうという人たちの中でも
やたらと「トレーニング」という言葉を持ち出す人たちは
本当は普段の生活の中での飼い主のかかわり方が間違えていると言う
大事な部分に気づいていないか、
気づいていても、自分が変わる努力をしたくないからとぼけて放っぽらかしていたりという
そういう人たちなのではないかと感じる。

自分が変わる努力ができないとか、
変わる努力をしたくないとか言う
そういった連中は
自分のかかわり方が間違っているからこそ
犬の行動に問題が発生していると言うのに
発生した問題を取りざたして
犬にばかり変われよとか
ちゃんとしろよとか強要している行為、それが
彼等の言うトレーニングであり
根本が正されていないのに
現象として現れている犬の行為だけを
変えようとして
全てを犬に負担させているだけのくだらなくて冷酷な飼い主であるのに
そういった自覚が無いどころか
下手をすると教育に熱心なまともな飼い主だとか思い込んでいたりする。

特にそういった傾向が強い飼い主は
犬の本能を理解できていない人間が多く
犬と「楽しく暮らせる」ことに重点を置いている場合が多いように感じる。

犬が楽しそうであることが
必ずしも、犬の精神状態が安定していることと一致することでは無いという
そんなことも解らずに
楽しそうな犬の姿を求めて
犬の興奮をあおり、
緊張や不満を高め、
果ては身体の健康まで侵していたり、
精神に異常をきたしていることにも気づかない。

犬達の表情を見れば
穏かに暮らせているのか、そうではないのかは
ちゃんと現れているというのに
楽しそうに暮らさせることにばかり気持ちが向いていて
自分が犬に対して何かをしてあげているとか
優しく扱っている気になっていたり
何かを与えてあげているとかいう
自己満足の犠牲に犬がなっていることに気づきもしない。

要するに自己満足に走って
自分の思い込みでしかない「犬の幸せ」を犬に押し付けているだけで
犬そのものには全く目を向けていないということなのが解る。

そういう人たちって、所詮は犬が自分たちの「慰み者」にしか過ぎないって
自覚もしていないのだから
犬って哀れな生き物だと思う。

「犬との楽しい暮らし」と言う言葉を優先する飼い主と
「トレーニング」と言う言葉をやたらと持ち出す飼い主。
最近、この二種類の飼い主がダイッ嫌いになりつつある。
 

名前

 投稿者:発見者  投稿日:2005年10月 6日(木)11時41分58秒
返信・引用
  ニューフェイスの名前は今のところ
第一希望が「セリーナ」
第二希望が「セーラ」
第三希望が「メロディ」

これから表情や動きがドンドン変わってくるだろうから
どんな名前があっているのかと楽しみにしている。
 

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