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(無題)

 投稿者:たっちゃん  投稿日:2018年 9月 3日(月)08時02分16秒
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  かまちゃん、マムシですか。

私の育った地域は、河内平野の端っこで有った為、田んぼと鶏小屋ばかりでしたが、マムシは流石にいなかったですね。

大きな青大将はおりましたが...。

マムシをブンブン振り回すだなんて、良い先生ですね。

素晴らしい!!

ところで元寇の件は全く仰る通りで。

大昔のように、大陸と地続きで有ったとしたらと思うとゾッとします。

海に守られていなかったとしたら間違いなく、騎馬軍団に無茶苦茶やられております。

島国で有ることが、事実上天然の要塞で有ったと思います。

それにしても、対馬や壱岐を初めとして玄界灘に面していた離島の住人は、軒並みやられるか奴隷にされた様子で。

西はカスピ海、東は高麗までを席巻した史上最大の大モンゴル帝国のやり口は、兎に角は殲滅。

元軍の過ぎた後、女子供も含めて誰もおらず、首塚、耳塚の山。

それを見て特にヨーロッパの人々は震え上がって、戦う前に全面降伏が相次いだとか。

兵站は基本的には現地調達の為、略奪暴行の嵐。

その元軍を向こうに回して、戦いを選択した北条時宗は無茶します。

下手打てば、日本国が壊滅します。

博多に居た時に、未だに『ムクリ、コクリの鬼が来る』と、各島々で伝わっているとの話を聞きました。

又、今でも東北では正体は分からいが兎に角、恐ろしいものが来るとのことに『もっこが来る』と言うそうです。

これは蒙古のことで有ると言い伝えられております。

遥か現代のしかも遠く離れた東北にまで、当時の恐怖が残っているとわっ...。

他にも、なんでも婦女子の手の掌に穴を開け、縄で数珠繋ぎにし船舷に垂らして、矢止めにしていたとか。

殺すだけではなく、焼いたり煮たり干したりしての食人行為もしていたとか。

本当に恐ろしい連中です。

ですが、鎌倉幕府は高麗や南宋からの商人や、放った間者などから元寇を把握していたとか。

知った上で島々での元の戦法を調べ、実はそれに対応した戦いをしていたとの事でした。

即ち、言葉の通じない相手に『やあやあ、我こそは...』ではなく、最初から集団戦をしていたり、指揮官を狙って狙撃を繰り返したり等々。

それでないと元軍が、海上戦に不得手なのに夜に成ると乗って来た軍船にわざわざ戻る訳が有りません。

最初の文永の役では、史実では一日と記されておりますが。実は先遣隊も含めて1週間位戦っていたそうです。

結果、何が何だか訳が分からない位に抵抗が激しく、しかも予定していた現地調達もまま成らず、何よりも矢が尽きあまりに勝手が違ったので取り敢えず、帰ることにしたとの事でした。

北条時宗らの情報戦により、残虐非道な元軍の仕打ちを日本軍が聞き及ぶに当たって、全軍異常に士気が高かったのも勝因の1つで有ったのでしょう。

ですが、そこを認めると侵略戦争に於ける防衛戦において、与える土地や褒美などの恩賞がろくろく有る筈もなく、又、戦記を記録するのが支配層の武家や貴族、僧侶、神官等々なので、勝因を神風によるものと主因にしたのが真相のようです。

でも、日本を神の国と尊ぶあまりに、それが独り歩きをし、いつかは神様(神風)が助けてくれると後の世にその軍部が無茶な戦争に突入して行ったのは、尽々残念で有り、同時に皮肉な話で有ります。

ちなみに捕虜にした南宋人は国に送り返し、高麗人は最後の決戦の地の鷹島と、博多まで連行してから那珂川の河口で全員バッサリやったそうです。
 
 
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